引退後はほとんど表舞台で顔を見ることはありませんでしたが、突然のニュースで驚きました。
天龍選手が引退を決意し、最後のツアーを行っている今年、きっての盟友である原さんが亡くなるというのも、運命的な感じがします。
阿修羅・原選手といえば、やはり天龍同盟の頃を思い出します。
ヒットマン・ラリアット、チョップ、ブレーンバスター・・・
それぐらいしか技は浮かんできませんが、ゴツゴツした無骨な試合スタイルは、深く記憶に残っています。
20分を超える試合を毎日続け、試合が終わった後はとことん飲む。
原選手は、そんなにお酒が強くなかったそうですが、それでも、天龍選手とともに、毎晩、飲み続けたというエピソードを読んだことがあります。
天龍同盟のメンバーが、ハードな試合の後、毎晩、美味しいお酒を飲んでいる話は、私が「お酒を飲めるようになろう」と思ったきっかけでした。
世界最強タッグの開幕日、全日本プロレスを解雇。
当時、私の住む地域では、全日本プロレス中継は、数日遅れの深夜放送でした。
週刊ゴングを愛読していた私でしたが、最強タッグは結果が気になって、ゴングのテレホンサービスを利用していました。
「天龍&川田組VSブッチャー&シン組は、ブッチャーが川田を体固め・・・」
結果だけを聞いた私は、「あれ、何で川田?阿修羅は?」と、意味が分からないまま。。
『解雇』と知ったのは、テレビ中継だったか、ゴングだったかは定かではありませんが、大人の事情など解らない私は、「何で?何で・・」といった感じで、全日本プロレスの社長・馬場さんを信じられなくなりました。
恥ずかしながら、解雇と引退の違いもよく分からなかったため、引退試合もなく原選手の試合が観れなくなったことにも、怒りを覚えていました。
「あんなに毎日、必死で闘っていたのに・・・」
全日本プロレス時代の原選手で思い出すのは、コーナーの天龍選手をかばおうと覆いかぶさったところに、スタン・ハンセンのブルロープの金具が当たり、何針も縫ったにも関わらず、休まずに試合に出続けたこと。
身を挺したその姿に、感動したのを覚えています。
そんな原選手がSWSで復帰したときは、ブランクが心配でしたが、素直に嬉しかったです。
そして、WARでの引退試合。
天龍選手のラリアットを何発も食らいながら立ち上がり、最後に力尽きて3カウントを聞いた場面は、ただただ胸が熱くなりました。
プロレス人生の最後を天龍選手に介錯してもらった・・・
そして、その後は決して、リングに上がらなかった・・・
原選手らしい、潔いプロレス人生の幕引きだったと思います。
阿修羅・原さん、おつかれさまでした。
安らかに。
追記
つい先日、2015/4/18に、原選手の引退試合がDVD化されていましたので、ご紹介しておきます。