2015年04月28日

阿修羅原 死去

今朝早く、阿修羅・原さんが亡くなったそうです。

引退後はほとんど表舞台で顔を見ることはありませんでしたが、突然のニュースで驚きました。

天龍選手が引退を決意し、最後のツアーを行っている今年、きっての盟友である原さんが亡くなるというのも、運命的な感じがします。


阿修羅・原選手といえば、やはり天龍同盟の頃を思い出します。

ヒットマン・ラリアット、チョップ、ブレーンバスター・・・
それぐらいしか技は浮かんできませんが、ゴツゴツした無骨な試合スタイルは、深く記憶に残っています。

20分を超える試合を毎日続け、試合が終わった後はとことん飲む。
原選手は、そんなにお酒が強くなかったそうですが、それでも、天龍選手とともに、毎晩、飲み続けたというエピソードを読んだことがあります。

天龍同盟のメンバーが、ハードな試合の後、毎晩、美味しいお酒を飲んでいる話は、私が「お酒を飲めるようになろう」と思ったきっかけでした。


世界最強タッグの開幕日、全日本プロレスを解雇。

当時、私の住む地域では、全日本プロレス中継は、数日遅れの深夜放送でした。

週刊ゴングを愛読していた私でしたが、最強タッグは結果が気になって、ゴングのテレホンサービスを利用していました。

「天龍&川田組VSブッチャー&シン組は、ブッチャーが川田を体固め・・・」

結果だけを聞いた私は、「あれ、何で川田?阿修羅は?」と、意味が分からないまま。。

『解雇』と知ったのは、テレビ中継だったか、ゴングだったかは定かではありませんが、大人の事情など解らない私は、「何で?何で・・」といった感じで、全日本プロレスの社長・馬場さんを信じられなくなりました。

恥ずかしながら、解雇と引退の違いもよく分からなかったため、引退試合もなく原選手の試合が観れなくなったことにも、怒りを覚えていました。

「あんなに毎日、必死で闘っていたのに・・・」


全日本プロレス時代の原選手で思い出すのは、コーナーの天龍選手をかばおうと覆いかぶさったところに、スタン・ハンセンのブルロープの金具が当たり、何針も縫ったにも関わらず、休まずに試合に出続けたこと。

身を挺したその姿に、感動したのを覚えています。


そんな原選手がSWSで復帰したときは、ブランクが心配でしたが、素直に嬉しかったです。

そして、WARでの引退試合。

天龍選手のラリアットを何発も食らいながら立ち上がり、最後に力尽きて3カウントを聞いた場面は、ただただ胸が熱くなりました。

プロレス人生の最後を天龍選手に介錯してもらった・・・
そして、その後は決して、リングに上がらなかった・・・

原選手らしい、潔いプロレス人生の幕引きだったと思います。


阿修羅・原さん、おつかれさまでした。

安らかに。


追記

つい先日、2015/4/18に、原選手の引退試合がDVD化されていましたので、ご紹介しておきます。

posted by 元・我侭店長 at 20:36
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2015年02月07日

天龍、引退・・・

今、Yahoo!のトピックスで、天龍選手が年内で引退することを知りました。。。

最近は試合を観ることがほとんどなかったんですが、
やっぱり、淋しいですね。。

思えば、テレビで最初に天龍選手を観た時、
延髄斬りや卍固めを繰り出していて
猪木のコピーという印象を持った覚えがあります。

翌日、友達にその話をしたら、
実はすごく近いところの出身だということがわかり
あっという間に興味を持ち、
それ以来、追っかけています。

鶴龍コンビVS超獣コンビの最強タッグで
今までに観たことのないやられっぷりを目の当たりにし
胸を打たれました。

天龍同盟で、連日、猛烈な試合を繰り返し
週刊ゴングで熱く取り上げられていた頃は
毎週、発売日が楽しみでしょうがありませんでした。

ブルーザー・ブロディとの三冠統一戦は
週刊ゴングで試合写真をみただけでしたが、
トップロープからのキングコング・ニー・ドロップに衝撃を覚えました。
時が経って、Youtubeで動画を観た時には、
改めて、天龍選手の凄さに震えました。

首を痛めながら三冠を奪取した鶴龍対決は
何度もビデオで繰り返し観て、
何度も何度も感動していました。

阿修羅・原引退試合での合体攻撃、
ラリアットでの介錯・・・涙が出ました。。

天龍選手だからこそできる
体を目いっぱい張った極上の試合を
何度も何度も観せてもらいました。

もうとっくに、馬場さんの年齢を超えています。

あれだけの試合をしてきたんですから、
体もぼろぼろだと思います。

既に引退した戦友、先立っていった戦友たちも数多くなってきました。

十分すぎるほどの感動を
いっぱい与えてくれました。

年内ということで、まだ何ヶ月もありますが、
無茶はしないで引退ロードを進んでいただきたいと思っています。

おつかれさまでした。

本当にありがとうございました。
posted by 元・我侭店長 at 14:31
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2005年09月13日

大仁田先生・・・

「大仁田先生」、ホリエモンの応援に行ってましたね。

なにやってんだか・・・
posted by 元・我侭店長 at 16:22
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2005年08月09日

大仁田先生!

昨日の参院本会議、郵政民営化関連法案採決の際、大仁田厚がどちらに動くか注目していました。
結局、じっと座ったまま動かず、「棄権」ということになりました。

実は私、その時間は寝ていたので、今日の朝、ワイドショーで知ったのでした。
なぜ、「棄権」なのかという、その理由も・・・

私、プロレスラーとしての大仁田厚は嫌いでした。
パフォーマンスばかりで、実力が伴っていない・・・
だから、大好きな天龍選手が、タッグマッチとはいえピンフォールを奪われたときは、とてつもないショックを受けたのでした。

でも、今回の大仁田厚の行動には拍手を送りたい。
例え、パフォーマンスだとしても、一般メディアの前であの言葉を吐いたことは、素晴らしいことだと思います。

ハマコーの、
「なんでスポーツマンらしく、反対に票を入れなかったんだ!」
という質問に対し、
「自分は小泉さんの子供。子供が親を裏切れますか!」(みたいな内容)
この言葉は、今の日本人に「義」の大切さを思い出させてくれるものだと思います。
逆に、この言葉を聞いたハマコーが何も感じないのなら・・・もうダメじゃないですか。

今回の結果を受けて、大仁田厚は政治家を終えることになるかもしれません。
それでも、政治家になった意義は十分にあったと思います。

大仁田「先生」は立派でした!
posted by 元・我侭店長 at 15:18
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2005年07月12日

橋本真也、急死

驚きました。

昨日から今朝にかけて、たまたま夜勤だったのですが、朝のお客さんが何気に引っ張ったスポーツ新聞を見てびっくり。
最初は、「破壊王」と「急」の文字しか見えず、お客さんがいなくなったときに見出しが「急死」であることを確認しました。

仕事が終わった後、裏に持って行って記事を読みました。

病院に運び込まれた時には、既に亡くなっていたようで・・・

橋本選手といえば、一時期、私の好きな天龍選手を追いかけていて、確か2回負けた後、3回目に勝ったと記憶しています。
一連の闘いで、逆に天龍選手の新日での価値もぐっと上がり、ファンとしては嬉しいことでした。
また、今は亡き冬木選手が、最後に追い求めたのも橋本選手。
天龍同盟ファンの私にとっては、なにかと縁のある選手でした。

今となっては、不似合いなサングラス姿も、懐かしく感じます。

心より、ご冥福をお祈りいたします。
posted by 元・我侭店長 at 09:34
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2005年05月28日

新日本社長交代

新日本プロレスの社長が、交代したそうで。

後任は、アントニオ猪木の義理の息子さん。


草間社長は1年ぐらいですか。

就任当初は露出も多く、話題を提供してくれましたが、短命でしたね。

経営の健全化は果たせたんでしょうか?

その辺の実績を残してくれたのなら、良かったと思います。


この1年を振り返ってみると、なんとなく焦点が定まらないまま、ダラダラと流れていってしまった印象があります。

誰かが言っていた「闘い」は、感じられませんでした。

興味が湧いた出来事も、1つか2つ・・・数えるほどしかありませんでした。


新社長は、大物外国人選手を獲得して、日本人対外国人の図式を打ち出していきたいようですが、あれだけの大所帯で、どこまで実現できるか・・・

余った選手は、どうなるんでしょう?

2チーム制にするんでしょうか?

しばらくは、注目しようと思います。


また、同時に、蝶野が現場責任者に復帰したようで。

もっと、自由に動いて欲しかったんですが、コチラもどうなるんでしょう。


新社長には、ホントに『世界一』を目指して頑張って欲しいと思います。


相変わらず、敬称略で申し訳ありません。
posted by 元・我侭店長 at 04:57
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2005年05月24日

6月5日

コンビニの方のシフトを組んだのですが、6月5日の日付を見て、思い出したことがあります。


全日本・日本武道館大会。

3冠ヘビー級選手権試合 (王者)ジャンボ鶴田VS(挑戦者)天龍源一郎


もう何年前になるでしょうか?

天龍が首を怪我していて、それでも、開始早々にジャーマンを放ちました。

その後は、ずっと押されっぱなしだったのですが、最後にパワーボムでピンフォール。


そのときは、結果を知らずにテレビ放送を見ていた(確か録画放送だったと思う)ので、ずっと手に汗していたような気がします。

シナリオがあったのかも知れませんが、それでも、とても感動した試合でした。


今となっては、あんなに感情移入できる試合はなくなってしまいました。

なんででしょう?

年を取ったせいかもしれませんね。


でも、重要な試合に至るまでのストーリーが、陳腐になったんじゃないかという気がします。

その試合で闘う2人が、何度もタッグを組んだり・・・


一つ一つの試合に、もっと意味を持たせて欲しいと思います。
posted by 元・我侭店長 at 15:23
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2005年05月20日

新日・東京ドーム

もう1週間前の話になりますが、新日本の東京ドーム大会が行われたようです。

私の場合、ネット上のスポーツ新聞で速報をチェックし、気になったら週刊ゴングを読んでいる程度です、今は。

そう、この大会もさほど興味はなかったので、ネット上で速報をチェックしました。

「あぁ、やっぱり小島は負けたんだな」
「村上、柴田が来たのか」
「高阪も負けちゃったな」
「ジュニアのタッグが移動したのか」

その程度の感想でした。


後日、ちょうど、週刊ゴングの発売日に雑誌を並べていたので、なにげに表紙を見ると、山本宜久まで来ていたことを知り、ちょっと興味が湧きました。

仕事が終わるのを待って、記事を読んでみると・・・

うーん、高阪は永田を認めて、山本は永田に喧嘩を売っている・・・

だいたい、なんで山本が出てきたんだろう?


先日の、永田、中西、カシン、藤田のユニットにしてもそうですが、今、誰と誰が敵対しているのかよくわかりません。

どういった勢力図になっているんでしょう?


最近のプロレスは、特に新日本は、何がどうなっているのか、把握するだけでも一苦労です。

全日本も、だんだん、それに近くなっているような・・・
posted by 元・我侭店長 at 09:28
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2005年05月13日

週プロの表紙を見て

お店(コンビニ)の雑誌コーナーを整理していて、『週刊プロレス』の表紙が目にとまりました。

「蝶野と中西が一緒に写ってる・・・」

中西って、永田、カシン、藤田とユニットを組んだような・・・

永田と蝶野は繋がってなかったような・・・

どういうことなんでしょう?

(ちなみに私は『週刊ゴング』派です。)

posted by 元・我侭店長 at 06:05
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